僕の見ている世界は、僕の世界でしかない

darkness dawn

再び世界を覆った光に、オジロは眩しげに手をかざした。
この光が夕方に走ってから、人々がおかしくなったーそれが本当なら。
『ツグミ、どうなっておる!?』
自分への異変が起きる危険性を知りながらも、オジロは弱いながらも持ち合わせた感応力を使いツグミに呼びかけた。
この光がもたらすものが、再び災厄なのか、それとも違う何かなのか。
それを求めて。
光を受けた身体で思考の海に道を開いた瞬間、オジロの身体に何かが浸透した。
ハッと目を見開く彼が、車の中を振り返ると、そこには同様に目を見開いた部下達の顔が。きっと彼らもこの瞬間にツグミとヒバリへの問い掛けを試みたのだろうーそして感じた。
「何だ…この身体を包む…感情は?」
カケスが珍しく焦った様な声をあげて、胸を叩いた。
その隣のカグーは、突然頭に浮かび上がった妻と子の姿に、堪らなく『会いたい』という欲求を覚え。
クロウタは、光の去った空を見上げて、呟いた。
「…ヒバリが、クコを…」
それぞれの体を直接的に触るような、暖かく包むような、そんな感触に。
クロウタはヒバリの姿を見た気がした。

夜の街で、友人の恋人をナイフで刺そうとしていた手が止まり、愛する我が子の首にかかった女の手も止まった。突然襲いかかってきた人が止まった事に驚く人、必死に止めようとした相手が突然力を抜いた事に戸惑う人。
それは、光を受けた直後から始まった、新たな異変だった。

ヒタキの手は、クコの指を止める事は出来なかった。
ただ、目の前で彼女の指がトリガーを引く事を眺めるしか。
それと同時に、彼女の銃を持たない方の手が別の生き物の様に動き、銃口を空に逸らす様を眺める事しか出来なかったのである。
自分で自分の手を弾いたクコ本人が、驚いた顔をしている。
「…クコ…」
「…何…今の………ヒバリ?」
2人を包んだ光は一瞬でどこかへと消え去ったが、同時にもたらされた何かが2人の胸を渦巻いている。先ほどまでの狂おしいまでの、ツグミを求め、その為にクコを傷つけようとする欲求は消え。ヒタキは呆然と自分の伸ばしたままの手と、腕の中の女性を見比べた。
「大変だ、彼女をっ!!」
そこにきてやっと、この目の前の瀕死の女性を救わねばならないという強い欲求を感じる。
女性を抱えて走り去るヒタキに構わず、クコはただ自分の両手を見つめていた。
「…ヒバリ…だったの?」
自分の意思を無視して動いたその手は、間違いなく自分の体ではあるけれど。
一瞬、ヒバリの自分を呼ぶ声がして、そしてまるで彼に操られる様に動いたと思ったのだ。
クコは両手を胸の前で広げたまま、空を見上げた。
そこに、ヒバリの存在を感じた気がしていた。

突然バンの奥で物音がして、多少呆けていた面々が驚いて振り返ると。
そこにはマットレスから体を起こしたヒバリの姿があった。
脳波が消えていた事など、微塵も感じさせない荒々しい動き。
「ヒバリ!い、今のは一体!?」
「そんな事より、クコの居場所が判った!!」
「ええ!?」
ろくな説明もせずに運転席のクロウタをどかして、自分がそこに座るヒバリ。突然エンジンのかかった車にオジロが驚いて飛び乗ると、彼は乱暴この上ない操作で車を急発進させたのである。
「おい、先生がまだ目覚めてないんだから!!」
揺れる車内で転がるカグーの声など、ヒバリの耳には届いていなかった。
そう、そこにある現実の耳には。

ヒタキが女性を抱えて病院に駆け込むと、そこは案の定今夜の騒ぎのために満員御礼であった。
しかし、何となく雰囲気が優しい気がする。
「…何だ…?」
人が人を傷つけて動揺する夕方の警察とは違う、決定的な何か。
それは。
誰かが誰かの心配をして、誰かが誰かの手助けをして、誰も彼もが隣の人の事を案じる姿。
「大丈夫?」「今は辛いけど、きっと治るから」「あの光の後で…」「目がちかちかする」「大丈夫、こうしてれば楽になるって」「手を貸すから、立てる?」「服が汚れる位良いわよ」「ああっここにいたのね、良かった…!」「無事だった!?」「何も言わなくて良い、良いから」
目まぐるしい動きの中で垣間見える人の笑顔に、ヒタキは女性を医者に託すと。
ただ呆然とそれらを眺めてから。
「…ツグミ」
ふっと思いだしたようにその名を呟いて、外に駆け出すのであった。

ー面白くない…っていうより、また元に戻っちゃった。
ツグミの意識に直接働き掛けるその声に、彼女は疑念を払拭できないまま尋ねる。
『世界に融合した、意思?』
ー信じられないって感じだけど、今のあなたと何か違う?
『私は心を広げたに過ぎないわ…戻るべき肉体がある』
ー私にはそれが無いだけ。たったそれだけの事。今の在る状況は全く同じでしょう?
『…証拠が無いわね』
ーふん、お役人みたいな事を。肉体が無ければ存在できないのだとしたら、今のあなたは何?
ー何も違わないわ、お互いにこうして影も形もない『存在』として『個』を確立して話をしている。
ーねぇ、今話をしているのは、あなたと私、よね?
ー『あなた』と『私』を決定づける物が肉体だとしたら、肉体を持たずにここで会話している私たちは一体何者なんでしょう?

むき出しにされた精神が個を保ち続ける事は、可能だろうか?
自分が自分の認識する自分であり続ける事は、不可能かも知れない。
ここは、あまりに触れるものが多すぎて、あまりにさらけ出すものが多すぎる。

『…あなた、自分が何者だったのか、覚えていないんじゃない?』
まるで流浪の民の如く、思考の海を泳ぎそこに在り続ける事で、在り続ける為に、変質を余儀なくされた意思。
そうだとしたら、これはー『個』ではない。

集団の『意識』だ。

ーそう、すでに私は一人という単位の当て嵌まらないものになっているのかもしれない。
ーさぁ、そんな私をどう捕まえる?
ー捕まえないと、あなたが去った後に…私はまた『上書き』をする。
ーこの街にはまだ、自分の中に眠る潜在能力に気付いていない人が沢山いるからね。
ーその人達へ届くように『上書き』をする。
『上書き? 』
光。
光を見た、この光の海に流れる強烈な意識に触れたものがー現象を起こす。
上書き。
それは、再び人を傷つようとする意識を海に流すという事。
自分の持つ力を知る人であれば、直接に皮膚をなでる意識を払う事も出来るだろうが。
自分の持つ力を知らない人であれば…?
流れ込む声の『思考』にツグミは無いはずの身体が、どくんっと鼓動を強く打つのを感じた。
この声の存在を排除しない限り。
ー私は、止まらない。

クコは走り出していた。
呆けている場合ではない、まずはヒタキを追って様子を確認しなければ。そして、彼が元に戻っているなら、局に連絡を…ヒバリに、連絡を。

ヒタキは走り出していた。
クコの元に合流して、謝らなければ。おかしかったと。自分はなんて事をしてしまったのだと。
そして戻らなければ…ツグミのところへ。

人は止まらない。
歩みを決して止めはしない。

『あなたの望みは、一体何なの?』
ーさぁ、何だろう。人を素直な状態にする事…かな。
『大切な人間を傷つけ傷つけられるのが、素直な状態だと言うの?』
ー人は悲劇を、不幸を望む生き物。それを押し隠して偽善面を被って生きているなんて、滑稽だわ。
『痛みを知らない人間は、時に残酷なもの。仕方の無い事だし、それ自体を罪と呼ぶ事は出来ない』
ー痛みを知らない人間は概ね強者であり、痛みを知る人間は概ね弱者である。
『人は真に平等には成りえない』
ーそう、どんなに平らに並べても、どこかで差が生じる…それが社会。
『…あなたは何を望む』
ー生じた差を、均一化する事。
『…何?』
ー痛みを知らないなら、教えてあげる。
ー自分が見たいと望んだ悲劇が、知りたいと望んだ惨劇が、一体どんなものかを教えてあげる。
ー自分だけカメラのこちら側なんて曇った目を、拭いてあげる。
ー人の目に映った自分を見て、自分がどれほど愚かなものであったかを教えてあげる。
『…あなた…』
ー私は、死を笑った、悲劇を笑った人間たちを、許さない!

その瞬間、ツグミの意識が一瞬ちりぢりに弾けた。
あまりの感情の発露に、意識が留めて置けずにばらばらになった感覚が襲ったが、果たしてその感覚が何に響いたものかもわからない。ただ、一瞬の後に、一つに戻ったツグミが知ったのは。
『…どこへ!?』
目の前から気配を消した相手と。
何故か意識に浮かんだ、走るヒタキの姿だった。

夜道を走る。
人が人を救い、傷ついた人を助け、病院に向かっている。
ドラッグストアには治療薬を求める人が、消えていた隠れていた家々には灯が灯り始めている。
そんな中を、ヒタキは走っていた。
クコの現在地を携帯のGPSで確認しようと試みながら走っていると。
すぐに、同じく夜の街をこちらに向かって走ってくるクコの姿が見えてくる。
白い肌が月明かりに照らされて、黒いアスファルトに反射する様な錯覚。
「ク…」
黒いアスファルトに、光が跳ねる錯覚。
「…コ…」
頭の中に、光が弾けた感覚。
「ヒタキ!」
目の前に迫ったクコの口から、自分の名を呼ぶ声が発せられた。
その瞬間。
「クコ」
ヒタキの大きな手が、ホッとしたような顔になっていたクコの、その白い首にかかっていた。

ーさぁ、殺してしまおう
ー身近な人に大切な人を奪われた苦しみは、どんなだろう
ーそれを他人から興味本位に覗かれる苦しみは、どんなだろう
ーあんた達に何が判る、と叫んでも
ー笑っているだけ
ーそんな連中もすぐに、あなたに追いつくから
ー誰もが誰も笑えない状況になるから
ーその時始めて、この世に不幸を求める人がいなくなる
ー自分だけは大丈夫だなんて、自分には振りかからないなんて
ー思い込んで、人の傷口を見る事に楽しみを見いだすような輩たちが
ー多すぎるから










初出…-☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。