愛情と憎悪はどこかで交錯する

darkness dawn

白く果てのない視界。
段々と間近に迫るオレンジの渦。
まるで宇宙に誕生したばかりの銀河を思わせる、眩い光の結晶。
白の向こうは黒、黒の向こうは白。
波があり渦があるが、上下の感覚はなく左右の感覚もまた無い。
それでも街の風景が浮かび上がり、空が森がビルが四方八方へと流れて行く。
所々でスパークする光が見える。
流星の様に飛び交う光は誰かの意思か、それとも飛び交う情報なのか。

ツグミとヒバリ。
2人の体がバンの中の簡易マットレスの上に寝かされていた。
通常の実験であれば、脳波をスキャンする装置などを取り付け、更には「精神の迷子」を防ぐ為の薬剤等も投与されるのだが、今は辛うじて心拍や脳波の有無程度が判る程度の装置しか使えない。
「……2人とも、もう幽体離脱してるよね?」
「バカ、霊体験じゃないんだぞ」
クロウタの小声にカケスが更に小声で突っ込む。
その声に対する反応も無く、2人は目を見開いたままで、どこか見えない場所へとあての無い旅を始めていた。

幽体離脱…そうかもしれない。
かすかに聞こえた声に、ツグミはどこかを彷徨いながら実体を伴わない頷きをしていた。
頷いている感覚はあるのだが、体は無い。
様々な思念が剥き出しの体に突き刺さる様に流れてくるのが判る。
『…あいつら大丈夫かな…』
カグーの家族を心配する声。
『目が閉じてないと怖いなぁ』
これはクロウタだろう。
関係各所への連絡や今後の対応等で忙殺されているオジロの思考も流れてくる。
範囲を広げるイメージ。
もっと雑多で凶暴な刃が光となって体を突き抜けていく。街の人々の思いだろう。バンを取り巻く周囲の声だけで、ツグミの中のバケツが溢れそうだった。
こんな事をしていると知れたら、明日のトップニュースは「開発局の職権乱用」だの「プライバシーは保たれているのか」と、能力者狩りが始るかもしれない。
自分を剥き出しにするリスクを負ってまで、他者のプライバシーを覗く輩は実はそういないのだが。
『…信頼されてるって事かしら』
自分達の自然思考を聞かれる事が判っていて、それを何とも思ってませんという顔で受け入れている仲間達。彼らの為にも…と、ツグミは更に意識を拡大しようとした。実際、自分の意識がどこまで拡散出来、それにどこまで自分が耐えられるかは判らない。
『…ヒバリ?』
まだ近くにいるのではないだろうか。
『信頼に応えましょう。明日のニュースにならない為にも』
ヒバリの声が響いた気がした。
お互いの思考が流れ溶け合っていく。ツグミの思考はそのままヒバリの中に届いていたらしい。
これ以上近くを意識するのは危険だろう。この状態で殺し合いを開始なんて、洒落にならない。
レールもなければ個を認識する共通の標識も、それを繋ぎ止めておく物も何もない空間である。
そこにいると思っているものが、実はとてつもなく離れたどこかにいっているという事もあるだろう。
そう、それはまるで、人と人の関係そのものの様に。
『無理はしないで』
『先生こそ』
『私は…光を求めてみる』
流星群の様に無数に木霊する声の中から、光の欠片を探してみる。
どこかに、光の元がいるはず。
どこかで、光の生まれはず。
『俺はクコを探します』
波紋の様に広がる世界イメージは、ツグミの見ているものより狭いのかもしれない。波紋の広がる限界が、自分の限界なのだろう。その中で彼女が見つかれば良い。見つからなくても、波を越えれば良い。
その先に、何が待っているかなんて…

「…おい、先生の脳波が…っ」
脳波の状態をチェックしていたカグーが、あっと声をあげた。
ツグミの脳波が突然激しく揺れ動いたかと思ったら、ぱっと動きを止めてしまったのである。
それは、脳死と呼ばれる様な、恐ろしい沈黙。
「教授!」
「…彼女の事だ、様子を見てみよう…」
カケスも心配そうに教授を伺うと、彼は口を真一文字に結んでモニターを睨んだ。
すると、カグーが再び不安げな声をあげる。
「ヒバリも、消える…」
「おいおい」
カケスが慌ててツグミとヒバリの脈を取りだす。
その背後では、クロウタがそっとバンの運転席から静かな夜空を見上げていた。
まるで、そこに2人が飛び込んだ思考の海が広がっているかのように思えたのだ。

『…先生が消えた…』
ヒバリは、ツグミの気配が突然拡散して消えたのを感じていた。
誰かに攻撃を受けたのではなく、あくまで彼女自身の意思としての消滅。
だが、きっと彼女は消えたのではない。
広がったのだ。
そう認識した瞬間、ヒバリはそれに習ってみようと思った。
『この海のどこかが、必ずあいつに繋がる』
ヒタキに追われているというクコが、自分を呼ぶかもしれない。
…強く。
その気配を掴むためには、ツグミの様に広く海の表面になるしかない。
ヒバリはそう思うと、すぐさま自分の意識を海に溶かす様なイメージを試みた。

そして、ヒバリの脳波も沈黙の領域に入った時。

クロウタの見上げている視界に、小さな、しかし何か強い光が現れたのである。
「…え?」
慌てて目を擦るクロウタだったが、その光は確かに夜空の中にあって星とは違う輝きを放っている。まるで、空に丸く穴を開けたような、そんな空間に現れた、光。
それは、次の瞬間には二つに増えていた。
「…か、カケス!カグー!!」
光、光、光。
クロウタが巨体を揺らしながら、慌てて空の異変を2人に叫ぶと、バンの奥から何事かとオジロも含めた顔が出てくる。
そんな彼らに、クロウタは窓越しの空を指さした。
「光が!!」

ツグミは光の元を求めると同時に、何者かへの疑問を胸に、そしてヒタキへの思いを胸に拡散した。
ーヒタキ、あなたは大丈夫ね?
決して、クコを手にかけたりはしない、そうでしょう?

ヒバリは、クコを求めて、ただひたすらにその為に己を拡散した。
ークコ、俺はお前を探しだす。
必ずだ。

2人の意思は、思考の海で波となった。
そして。

目の前で自分の頭に銃口を突きつけているクコの姿に、ヒタキは自分が何を考えているのか全く判らなかった。
同僚であり親しい仲間でもあるヒバリの愛するクコを殺す事で、天秤はツグミを救う。
だから、今ここでクコが己の命を絶つ事は、願ったりの事。
それなのに。
腕の中の女性、クコの顔、ツグミの微笑み、ヒバリの横顔、オジロの声、カケスの、クロウタの、カグーの、そんなもろもろのものが胸を横切っていく。
何か。
何かが。
ーあの人を失った人を慰めて、あなたは自分の幸福を実感できる
何かが胸を。
ーあの人を失った人を慰めて、あなたは優越感に浸れる
クコの指が、ゆっくりと動く。
ーあの人を失った人を慰めて、あなたは良かったと思う
「…俺には、耐えられない」
つぅ、と流れた雫は。
ーああ、死んだのが俺の大事な人じゃなくて良かった、そう思うんでしょう?
クコの大きな双眸から零れたものは、ヒバリへの。
「私には、あなたが死ぬ事も、ヒバリが死ぬ事も、あなたを失ったツグミ先生が悲しむ事も、何もかもが…」
ーああ、"ツグミ"じゃなくて良かったと、思うんでしょう?
「耐えられない」
ぐいっと、内側に動いたクコの細い指が。
ヒタキの目の前で、恐ろしい生き物のように。
トリガーを引きかけた、その瞬間。

「やめろ、クコ!!!」
「…ごめんね、ヒバリ」
クコは最後の一言だけ、ヒバリに向けて自分の精一杯の力で心の海への扉を開いた。
そんな2人の声が、夜の路上に跳ねるように響いて。

手を伸ばしたヒタキと。
指を曲げようとしたクコの。
遥か頭上、空高くから。

二つの光が落下して。

「光だ!!!」
クロウタの叫びに、カケスとカグーが顔を見合わせた。
オジロが慌ててバンから飛び出す。
そして。

その夜の全てを飲み込む勢いで地上に落下した二つの光は、どこかに着地して。
次の瞬間には地上全てを覆うように、白く眩しい光の波となって人々を飲み込んだのである。
そう、それはまるで。
夕方に落ちた、あの光の様に。

『…誰?』
ーそれはこっちの台詞でしょう。
ーあ〜あ、せっかく人が皆を素直にしてあげたのに…
『何?何を言っているの?』
ーあなたと、もう一人の人の意識が私の声を上書きしてしまったわ。
『上書き?どうゆうこと。あなたは一体…』
ー………あなたがどこを見ているかは知らないけれど。
ー私はあなたの目の前にいるし、後ろにいるし、横にいるし、下にいるわ。
ーせっかく意識を無限に解放したのだから、目を開けてご覧なさいな。

ツグミは、意識を拡散した次の瞬間に、自分の意識の一つがどこかに辿り着いた事を知った。
いや、それは辿り着いたのではなくて、どこかに引っ掛かったというべきか。
そこには確かに、彼女が求めていた存在があった。
目には見えず、耳には聞こえず、手には触れない。
ただ、意識に直接働き掛ける、意思を確かに感じたのである。

『あなたが、光の正体ね』
ーそうだとしたら?
『あなたの本体を探しだして、捕まる。それが私達の役目よ』
くすっと笑われた感触が意識にあった。
それがツグミに確信を与えた。
間違いなくこれが光の、この騒動の元であると。
しかし。

ー私を捕まえるのは、不可能よ。
『何ですって?』
ーどうやって捕まえるのか、教えてくれたら考えないでもないけど。
『私達は特別監察局よ。この国のどこにいても、私達のネットワークからは…』
ーどこかじゃないの。
『…何?』
ーどこかじゃないのよ。

ヒバリの意識は、確かに一瞬だが空に浮き上がったクコの存在を感じていた。
本当に突然、一瞬だけ彼に呼びかけるクコの声が浮き上がったのである。
そこがどこであるか、どれくらい離れているかは全く判らない。
だが、ヒバリは声の方向に「走った」。
全身全霊を込めて、彼女の元へと。
今まさに、トリガーを引く瞬間のクコの元へと。

『どういう意味?』
ツグミは尋ねた。

ヒバリの意識は飛んだ。
今まさに、クコを止めようと手を伸ばすヒタキの前へと。

『あなた…まさか…』
上ずったツグミの意識が動揺して揺れた。
その揺らぎに心地よさを感じているかのような、意識が流れてくる。
それは、言った。
囁くように、溶け込むように、ツグミの意識に息を吹きかけた。

ー私は思考の世界にのみ生きる、世界に融合して生きる…意思でしかないー










初出…-☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。