その決意は時に、人を不幸にする

darkness dawn

「眩しかった」「何だか声が聞こえた」「耳元で囁かれたの」「胸に焦りが募ってきて」「とにかくまずい、まずい、まずいって」「女の子の声」「声かどうかも判らないけど、でも」「大変、早くしないとあの人が殺される」「光に包まれて」「ねぇお願い、あの人を守って」「判らない」「でも」「目が暫く焼けて」「あの人を殺せば」「空から光が落ちて」「あの人が助かる」

通報が始まった時刻の15分程前が、例の光が地上に落ちた頃だった。
逆に言うと、光を見た人々が15分後に凶行に走ったとなる。
「加害者の殆どが、光もしくは声という話をしているんです」
「あれだろう、先生とヒバリの言っていた超常現象」
カグーと一緒にデータを見ていたカケスが無精に伸ばした髭を擦った。
彼はクロウタに拘束されながらバンに入ってきたヒバリに、ちらりと視線を投げる。カグーも心配そうにそちらを伺うものだから、ツグミは事のついでのように説明した。
「クコと連絡が取れなくて、情緒不安定なのよ」
その説明に、カケスは内心で「お前さんもじゃないのか」と呟いていた。
相変わらず2人からの連絡は無いが、心配していても仕方ない。とにかく出来る事をするしかない。
「光を見た人間が事件を起こしているとしたら?」
「そうだな、何かしらの関係はありそうだ」
む〜っと口を尖らせながら、椅子の背に寄りかかったカグーは、バンの天井を見上げた状態で、「ああでも」と唸った。
「ウィルスじゃないんだよなぁ」
「宇宙人でもやって来たか?」
少し茶化す様なカケスの言葉に、カグーは軽く笑って肩をすくめた。超能力だの何だのという仕事をしていると、宇宙人が出てきても驚かない自分がいそうだ。実際目にしたらどうかは知れないが。
彼は視界の隅でチラリと、クロウタに抑え込まれているヒバリと、指の爪を噛みながら考え込んでいるツグミを捉えていた。
「…ヒバリと一緒に光を見たなら、先生にも何か起きてもおかしくないわけか…」
カケスが言うが、何も語らないヒバリと、考えるツグミ。
そんな2人をじっと見守る人々。
そこへ、通信席からオジロ教授が戻ってきた。
「ヒタキとクコが目撃されたぞ」
警察から連絡が入ったと、彼がそう告げるのと。
「ヒバリ!光の中で声を聞いたと言ったわよね!?」
ツグミが怒鳴るのは、ほぼ同時だった。

わき腹以上に痛むのは左耳だ。
顔面に向けられた銃口から放たれたヒタキの弾は、クコの髪と左耳を少しえぐっていった。
あの距離でヒタキが外した事も奇跡だが、彼の手元の銃をあの姿勢から狙い撃ち出来た自分の腕も、また奇跡だろう。クコはそう思いながらも、ハンカチを耳にあてがった。
赤く流れる鮮血に、心臓の音が高鳴る。
だが同時に、精神をやけに冷たく静かにした。
じくじくと痛むのが耳だからか、クコは頭の中に痛みが波紋の様に広がる感覚を覚えていた。
ツグミやヒタキ程で無いにしろ、彼女もまた特殊な能力を持つ身である。自分の力のコントロールだけはしっかりしようと、自分に言い聞かせたる。
女2人の騒ぎにかそれとも自分たちにか、どちらが目的かは判らないが、警官が飛び込んできたのは、2人が銃を撃ちあった直後だった。
すぐに姿を消したヒタキ同様、クコも警官の関与を断ち切るべくその場から逃げた。
警官と共に警察署へ行き、ヒタキへの被害届を出す?そして局に連絡を取る?
何かがおかしい。
何かがおかしいのに。
じんじんと左耳から何かが入り込む。
それが外気か、流れる血液か、それとも。

ー急がないと、大切な人が、殺されちゃうよ?

「…え?」
クコは路地裏から路地裏へ、走っていた足をふと止めた。
何かが今、頭の中で弾けた。
そして浮かんだのは、愛しいヒバリの顔。

ー急がないと…ほら、殺される前に…

そういえば彼は、どうしているだろう。
何故かとても気になる。今、どうしているのかが。ヒバリが今どこでどうしているのか、果たして無事でいるのかどうかが。そう、無事で………無事で?
「な、何?」
バクバクと不安で叩かれだした心臓に手を当ててみる。
とてつもない焦燥感と不安感、足下が揺らぐ程の絶望感とどこからか響く誰かの嬌声。物陰から暗闇から誰かが笑っている視線を感じる。何、これは一体、何が起きているの。

ーほら、殺される前に…
ヒバリが、殺される前に。
ー殺せ
ヒバリが殺される前に、…誰を。
誰を。
誰を…そうだ。
ー殺せ
ヒタキーを。

その結論は、酷くすんなりとクコの胸に落ちた。

ヒタキとクコの殺し合い。
それは聞いてすぐに理解できる様な話ではなかった。
特にヒバリはオジロ教授からの話を聞くやいなや「彼女を助けに行く」と言って暴れだす始末。
それすらも普段通りの彼ではないと判るから、不気味な空気がツグミ達を取り巻きつつあった。
正体の見えない不穏な気配に包まれていく。
「2人も光を見たんだろうか…」
カグーの質問に答えられるものは、ここにはいない。
あの光が落ちた瞬間、彼らは別の場所にいたのだから。
ただ、市内の殆どの場所で目撃されている事は明らかである。2人が光を見ていない可能性の方が低いのではないだろうか。
「…あなた達は見ていないのよね」
「ああ」
建物内にいて光には気付かなかった、とカケス達は頷いた。どうやらオジロも同様らしい。
が、彼は眉間に皴を寄せた。
「しかし、あの光はウィルスではないのじゃぞ?」
人為的に落下してきた光ではない。
あくまでも自然発生した光としか考えられない。
そんなものに、人間への共通の行動因子を植え付ける事は可能なのだろうか?
ツグミは考えた。
確かに、ウィルスや作為が確認されない今、オジロの言う事はもっともだ。しかし、世の中にはウィルスが無くても、大勢の人が同時に同じ行動に出た現象が無かったという事もない。歴史に目を向ければ、まるで感情が空気感染した様な出来事も、結構拾えるものだ。
「…感情は空気に乗った…?」
ツグミはヒバリを見つめた。

夜が更けても、街の中の異様な空気は静まらなかった。
人は人目を気にし、赤の他人よりも身近な人間を恐れる様になっていたのである。いつ自分に刃が向くか判らない状況。敵がはっきりしない分、よりストレスは多くなる。
人と人の繋がりを持つ人は、恐怖に精神をすり減らしていく。
自分と人の繋がりの薄さに気付いた人は、襲われる心配の軽減よりも、自分の孤独に気付いて傷ついていく。
そんな奇妙な空気の中で、街は更なる混乱の度合いを増していた。

ヒタキは、逃げたクコを追って夜道を走っていた。
繁華街を抜けた先に、貧困層が集まる雑居ビル群が現れる。
いつだって危険と背中合わせに生きてきた人々は案外冷静かと思える、そんな静けさに包まれた薄汚れたビルの群れの中。
ヒタキの胸は様々な熱にせめぎあっていた。
ー早く殺さないと。
クコ…彼女を早く殺してしまわなければ、代わりにツグミが死んでー誰かに殺されてしまうようなイメージ。
頭のどこかで「そんな馬鹿な」と繰り返す自分もいるのに。
ー早く殺さないと、ほら早く。
急き立てる誰かに従うように、胸にせり上がってくる焦りが足を動かす。
ーあの人が死ねば、あなたの大切な人は助かる。
ツグミが死ぬはずはないという強い思いと、絶対と言いきれる現実は存在しないのだという激しい思い。守りたい、守らなければ、俺が彼女を守らなければ。
ーほら、いつだってあなたは傍観者だったじゃない。悲劇は隣に落ちても、自分には落ちないもの。
そう、いつだって嘆き悲しむ人を見て、可哀想にと思うのが自分の役割で。
ー悲しみたくないでしょう? 自分の大切な人は守りたいでしょう? なら、天秤を向こうに傾けなきゃ。
自分にはそんな事は起こらないと信じている。起こさせない力が自分にはあると信じている。
ー今こそ動くときだよ、さぁ、早く。
いざとなれば、自分には守る力があると信じている。
ー大切な人を守るために、さぁ、他の人の大切な人を、殺してしまわないと。
ー自分の目の前に自分で線を引かないと。
ー自分は無関係だと。
ー自分は傍観者だと。
ー悲劇は常に斜め横に落ちるものだと。
ーさぁ、早く!
ツグミの命の代わりに、クコの命を差し出さなければ!

…誰に?

手にした銃を握り直した瞬間、目の前にドサッと黒い影が倒れた。
ハッと息を飲んだヒタキが、夜の闇に目を凝らしてその影を確認する。
「…女?」
とりあえず辺りを確認してから駆け寄ると、自分で自分の胸をナイフで突いたらしい女が道に横たわっていた。彼女の他に、この場所に人影は確認できないのだから、まず間違いないだろう。
だが、何故自分で?
「おいっ大丈夫か?」
助け起こしたヒタキの声に、女はうっすらと開いた目から、一筋の涙を流した。
多分、自分を抱いている相手を認識はしてないだろう。
激しく出血する胸をナイフごと抱えて、女は擦れた声で呟いた。
「嫌なの…」
「何?」
「私の為に…あなたが人殺しになる位なら」
最後ははっきりと。
だから、自分で自分の胸を突いたのだと。
人を傷つけるよりも、愛する人が自分の為に人を傷つけるのを見るよりも、ならばいっその事。

ー大切な人を守るために
ー他の人の大切な人を、殺して
ー自分の目の前に自分で線を引いて
ー自分は無関係だと
ー自分は傍観者だと
ー悲劇は常に斜め横に落ちるものだと
ー誰かの不幸を願って、それを自分の糧にして
ー可哀想ね、大変ね、大丈夫、と声を掛け手を差し伸べて
ーほら、その時どんな顔をして泣くのかと
ーほら、その時どんな風に苦しむのかと
ー興味津々なあなたがいる

見たいんでしょう?悲劇が。
知りたいんでしょう?惨劇を。

傷ついた人を見て、満足している自分を否定出来るの?

「…この世の地獄なら、人より多く見てきた」
突然響いたクコの声に、ヒタキはゆっくり顔を上げた。
腕の中の女は、早く病院に運ばなければ危ないだろう。
だが、動けない。
手放す事も出来ないし、病院に連れていく事も出来ない。
何故なら、目の前にクコがいた。
静かに、銃を構えた彼女から、目が離せなかった。
「…俺を、殺すか」
クコはヒバリの為に。
「…あなたも私を殺すんでしょう?」
ヒタキはツグミの為に。

いざ目の前で、2人が同時に危機に陥っていたら。
自分が手を伸ばすのは、果たしてどちらだろう。
きっと、普通に暮らす人達よりも、特殊と言える経験を積んできた。持って生まれた能力の為に嫌な思いも沢山した。それを管理取り締まる職に就いたからこそ、能力に関する酷い場面を見てきた。
きっと、目の前の女性よりも、自分の方が一歩、地獄に近い場所にいる。
それでも。

「私は弱い人間だから、……耐えられない」
クコは弱々しい笑みを暗闇の中で浮かべて。
そして。
銃のセーフティを外した。
ゆっくりと。

銃口を自分の頭に押し当てて。

「何者かの感情が、大気に乗ったのだとしたら」
それはツグミの仮説だった。
誰かの強い想いが何かしらの原因で、空気中で拡散したのだとしたら。
通常、ツグミ達の様な精神感応者や思念同調能力者の力は、一定の範囲内もしくは接触を持って初めて発現する。訓練に研究を重ねてきたツグミであっても、それは限りある範囲であり、街を覆うほどのものではない。
だが、現実は彼らの前にこれでもかと腰を落として構えている。
「試してみるしかないわね…」
限界を超えた、広く広がる共通の海へ。
己の垣根を取り払い、伸ばせるところまで感情の触手を伸ばしてみるしかない。
「俺も」
ツグミの声に、ヒバリが言った。
激しく身の内に広がる感情と葛藤した男は、毅然とツグミを睨んだ。
「…私も、あなたを殺そうとするかもしれない」
感情の海で。
2人の能力が同じ類いであっても、その力はツグミの方が遙かに強い。
そこに一緒に入るという事が、どういう事か。
実体が側にいるからこそ、お互いの肉体を越えた部分で、ツグミは彼の精神を圧殺するかもしれない。
「それでも」
低い声で答えたヒバリに、ツグミは小さく頷いた。
「せめて…2人に間に合えば良い…」

ー手を下したのは、あなた達自身。
ー私はきっかけを与えただけだもの。
ー自分の中にある欲望に気付かせてあげただけだもの。
ー誰も、私を裁けない。
ーだって、私は。










初出…-☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。