身体は時に、意思を裏切る

darkness dawn

市内を走るバスの中には、仕事帰りの人間が溢れていた。
一様に疲れた雰囲気を醸し出す顔をして、人々は黙々と車窓を流れる風景を見る。
日の落ちた街はどこか陰うつで、そしてどこかみだらな光をたたえている。そんな輝きの中に、今日はやけに赤い光が目に付くと思った者は、そこで眉をしかめた。
街を走る車の中に、警察車両がやけに多いのだ。
そして、見てしまったのは。
パトカーから降りた警官が、銃を手にした姿。
それを、一般市民へと向けた姿。
「あ」と誰かが叫んだかも知れない。
しかし、その叫びが警官の耳へと届くことは無かった。
その時、警官の耳を襲ったのは自身の放った銃声だったからだ。

「異常事態だ」
クロウタと共に監察局のバンに乗って現れたオジロ教授は、そう一言呟いた。
移動基地でもあるそこに顔を揃えたのは、ツグミ・カグー・ヒバリ・カケスだけで、クコとヒタキの姿はない
本来の彼らは、その2人を加えた顔ぶれで「チーム」である。他にも様々なチームが存在する中で、オジロが最も信頼するのがツグミであり、彼女が最も信頼するメンバーが揃っているのがこのチームなのだ。
その欠けた円の彼らの前には、バンに内蔵されたPC画面に市内の立体地図が立ち上り、そこに赤い点が夜空の星々の様に輝いていた。本物よりも禍々しさを感じる光だ。
「とうとう警官にまで現象が起きる事態となった」
「現象ね…」
ツグミが苦々しげに一言呟いた。
どういう仕組みかは全く判っていないが、とにかく身近な人物の大切な存在を襲うーという現象が街中に巻き起こっているのは事実だった。つい数分前にも、警官が義兄を撃つという事件が発生したばかりだ。「ヒタキとクコは?」
「一切音信不通。2人が寄った署の人間の話だと、通路の影に消えた後は物音がしただけだそうよ。気になって見に行ったけど、もう誰もいなかったって…」
異常事態、それを言うならば街中で起きている事よりも、チームの2人に起きている事ではないか。
「引き続き2人への呼びかけを続けて貰いつつ、私たちは、とにかく現象を起こす原因や要因を探りましょう。加害者と被害者、双方のあらゆるデータを用意して頂戴。あと、国内外の主要能力者の現在所在地と動向の確認」
「判った」
胸の前で腕を組んだツグミは冷静に言うが、どこかに苛立ちが滲んでいるのは明らかだった。
オジロが通信席に着き政府へ連絡を始めるのを見ながら、ヒバリがそっと車を抜けた。
「煙草?」
「ああ」
車内は禁煙だからな…と無表情で言うヒバリの背中に、クロウタは肩をすくめた。
チームの中でも比較的、会話を交わす事が多い。時には2人で飲みに行く事もある。だからこそ、クコの事でもっと取り乱すかと思っていたが、案外大丈夫みたいだな、と思いながら。

『クコ…クコ!』
バンに寄りかかり煙草を吹かしながら、クロウタが去った瞬間にヒバリは携帯を取り出していた。
実を言えば、彼女からの連絡が途絶えてからずっと続けていたのだ。移動中の車内でも、今の話の最中もずっと、手元ではメールを打ち続け、とにかく呼び続けて。
ヒバリが彼女に惹かれた理由の1つでもある、あの魅力的な声が跳ね返ってくるのを待ったのだが。
いくら呼びかけても、返るのは無言の時間ばかり。
居場所を掴もうとしても、GPSが圏外表示されてしまう。
意図的に電波を遮断しているのか、そうされているのか…。
「…くそっ」
大して短くもなっていない煙草を投げ捨て、踏みつぶすヒバリ。
その傍らを見知らぬ車が走る抜けた時。
バンの車体に跳ねたヘッドライトを見て、彼はふと、夕方の光の事を思いだしていた。

ノイズ?とツグミは言ったが。
ヒバリには何も聞こえなかった。…そう、ノイズは何も。
ただ、もしかしたら、あの時。
声が聞こえなかったか?
そう、ノイズではなくて、はっきりと。
あまりにはっきりしていたので、誰か近くにいた人間が発した声かと思い込んでいたが。
もしもあれが、ツグミの耳にはノイズとして届いていたのならば。

ー急がないと
確かに、はっきりと聞いた気がする。
そう、思いだせ、何を聞いた?
あれは。

ー殺されちゃうよ?
あれは、確か。
ー殺られる前に

「ヒバリ?」
バンからツグミが顔を出した。
その顔にかかる髪を見た瞬間、暗闇に浮かぶ白い顔を見た瞬間、彼女の漆黒の瞳を見た瞬間。

ー殺れ

ヒバリの手が、懐に忍ばせていた拳銃に伸びていた。

街中が異様な空気に包まれていた。
台風が去った後の奇妙な静けさと熱気が大気を歪め、何となく視界に映る闇その物を気味悪くさせている。繁華街の裏路地はただでさえ空気が悪いのに、今日は更に匂いがきつい気がした。酒の匂いに汚物の匂いに、何かの獣じみた匂い。
細いビルの隙間から覗く表側の光はけばけばしく、切り取られた視界の中でドロドロとした液体を流して混ぜた様な湿り気を漂わせていた。
「…もう…っ…」
手元の銃の残り弾を数えて、クコは少し泣きたくなった。
監察局の特権で銃を持つ事が許可されているが、彼女のそれはそもそもがゴム弾だから殺傷能力は無い。火薬を積んだ実弾も携帯はしている。
オジロや保安部の面々以外は、基本的には研究者であり、自身も能力者だ。クコにもツグミ程ではないにしても、感応能力は備わっている。それだけで充分凶器だと言う人もいるだろう。言われるからこそ、自衛の為に武装しろとオジロには以前から言われていた。
だが、仲間にそれを向ける位なら死んだほうがましだと思う。…思うが、実際に殺されかければ撃たざるを得ない自分がいる。
クコの脳裏に、突然襲いかかってきたヒタキの姿が甦る。
冗談かと思った事が一瞬反応を遅らせた、そのせいでわき腹が痛む。思いっきり拳を一発食らってしまったのだ。そこからは理性よりも、護身術として身体が覚えていた動きが命を助けたと思う。真剣に殺す気で殴りかかってきたヒタキから逃れて、とにかく警察署から飛びだした。
すぐにツグミ達に連絡を取ろうと思ったが、ヒタキに居場所を検索されてしまい出来なくなった。
能力に関しては、クコよりもヒタキの方が遙かに強い。
一発だけ実弾を使った。それはヒタキ本人にではなく、彼が乗った車のタイヤにだ。ハンドルが聞かなくなった車ごと、ヒタキは植え込みに突っ込んでいた。
らしくない。
普段の彼なら咄嗟に座席から飛びだすのは朝飯前だろうに、らしくない。
だが、そもそも仲間に突然殴りかかってくる事自体が、らしくないどころの話じゃない。
それも、女性であるクコにだ。
ヒタキは外見こそ武骨な大男の類だが、中身は誰よりも優しさに満ちた紳士なのに。
とにかく、そこからは追い駆けっこだ。
襲い来るヒタキから逃れ続けて、何とか監察局を目差しているのだが…
街が、異様な雰囲気に包まれてきていた。

「あんたが死ねば良いのよ!!」
突然目の前に跳びだしてきたのは、明らかに風俗嬢だった。
手には果物ナイフを持って、足がもつれている男の背中を狙っていた。
「ちょっとぉ、何してんのよ!?」
「離せっ!!」
女を、同じく風俗嬢らしき女が背後から羽交い締めにする。
それを見ながら、クコーは手を出すべきかどうか迷った。こんな騒ぎなら、この界隈ではしょっちゅうだろう。しかし。
「何であんたこんな事っ」
「だって、私はあの人を失いたくないんだものっ!あの人の為なら、あんたの彼氏が何よ!!!」
「何それっ!?」
女2人が叫びあい怒鳴り合いながら、地べたをもつれ合って転がっていく。
「…だ、大丈夫ですか」
「あ、ああ…」
クコはそっと、女から逃げた男に声を掛けた。
男は女達を止める事も出来ずに、ただ呆然とそれを眺めている。完全に放心している感じだ。
「二股でもかけたんですか?」
「え?いや、まさかっ…」
何だか一気に脱力するものを感じながら、クコが尋ねると、男はビックリした顔をして視線をこちらに向けた。その視線が、ふっとクコの頭上を見た。
その瞬間、クコの首筋にぞわっと総毛立つ程の殺気がかかった。
「見つけたぜ」
「っヒタキ!?」
やや上空から降りかかった声に、クコは咄嗟に弾けるように横に飛び跳ねながら振り返った。
余りの殺気に、手には銃を構えた状態で。
目にしたヒタキもまた、局から支給されている銃を構えてクコにその銃口を向けていた。
暗闇に女達の怒鳴りあう声が、男の狼狽える声が、そして。

銃声が響いた。

顔を掠めた銃弾に、ツグミは立ち尽くしたまま目を見開いてヒバリを睨んだ。
頬に僅かに走った衝撃と硝煙の匂い、それから暫くしてじわっとした痛みが広がってくるのを感じて、ツグミは眉をしかめる。何事も無かったように顔に指を伸ばすと、ねっとりとした案外鮮やかな色の血が皮膚を濡らす。
「…どういうつもり」
「……………っ……」
静かに尋ねたツグミに、銃を撃ったヒバリ本人が目を丸くしている。
不思議そうに自分の手にした銃に視線を落としたヒバリを、突然背後からクロウタが拘束する。
「何してるんだ!?」
「くっ!」
カラン、と思いのほか軽い音を立てて地上に落ちた銃を、ツグミがそっと拾い上げる。
それを手で撫でてから、ツグミは改めて眉をしかめてヒバリを睨んだ。
「この距離で外すって、どういう事?しかも、クロウタに易々と背後を取られるなんて」
「…先生、まず尋ねるべきはそこですか?」
殺されかかった事よりも、殺しそこねた事を責めるかのようなツグミの言葉ー殺されかかったのは自分なのに冷静そのもののその言い様に、クロウタが少し呆れた。
それでも、自分と同じ精神感応者であるヒバリが、背後から迫る意志を持った気配に全く気付かない方がおかしいと、ツグミは思ったのだ。
すると、クロウタの腕の中で特に抵抗の意思もないらしいヒバリが、呆然と呟いたのである。
「…判らない…が」
「何」
「頭の中に…声が」
ツグミの視線が更に険しくなった。
「声が、何!?」
「判らない…声…そう、光…あの、光の中に」
はっと、急速に正常な力を取り戻したヒバリの瞳が、ツグミに向けられた。
ツグミの深い色の漆黒の瞳と、ヒバリの褐色を帯びた瞳が一直線に向き合い、交差する。
途端にヒバリの胸に沸き上がるのは、ツグミへの殺意。
「……っ!!」
「ヒバリ!?」
クロウタの拘束を解こうとするヒバリに、クロウタが驚いて叫ぶ。
確実に彼は、ツグミを殺そうとしている。その殺気に気付いて、クロウタは狼狽えたように彼を必死に捕まえながら、ツグミを見た。
目の前で仲間から殺意を向けられながらも、ツグミは眉をしかめて指を噛んでいた。
「…光……あの、光?」
「先生!」
呟きとほぼ同時に、車内から顔を出したカグーが3人を見て少し怯む。
何かあったとは思っていたが、銃の発射には気付かなかったらしい。ヒバリの銃には消音装置が付けられていたのだから、当然かも知れない。
ツグミの顔の傷にも気付いて、カグーが何か言いよどんでいると彼女の厳しい声が飛んだ。
「何?」
その眼力に押される様にして、カグーは言った。
「あ、あの、ちょっと見て欲しいデータがあるんです」

さぁ、どうするの?
ねぇ、どうするの?
これが見たかった事、これが聞きたかった事、これがあなた達の望み。
いつも線の向こうで必死に覗き込んでいたのは、こんな場所。
ほら、見に行けば良い。
ほら、聞きに行けば良い。
そこにあたな達の望む、満足のいくとっておきのディナーがあるから。










初出…-☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。