人は君が思うほど、強くはない

darkness dawn

目の前を無機質に横切っていく白い影。
無造作に放り込まれる様に運ばれていく白い脱脂綿の塊が、酷く凶暴に目に映る。
おもちゃの様なテープで区切られた線の向こうで、何が起こっているのか。
本能が告げているのに、理性がそれに耳を塞ぐ。
いつもなら元気な顔が飛びだしてくるはずの玄関を、今日は無言の大人たちが何人も何人も何人もくぐっては消え、出てきては消えていく。
嫌になるほど晴れ渡った空なのに、暑さは不思議と感じなかった。
ただひたすらに、何かが欠如したヒンヤリとした寒けが背中を走る。
何が起こったかは明白で。ー早朝の通報。駆けつけた警官。発見された死体。
同情した顔をしながら、何が起きたかと耳を大きくした大人たちが近づいてくる。
ー可哀想に。何があったの。何か知ってる。ねぇ、どうしたの。
ずっと一緒にいたのに。
ーまた明日。
私にきた明日は。
ーじゃあね。
彼には、来なかった。

発見された冷たい身体。黙っていないさいと言う声。何も教えられていない。眉をひそめて大丈夫と言うその口が、笑っている。笑っている。何を知っているのと耳が泳いでいる。運び込まれる脱脂綿。運び出された白い塊。昨日と今日の境目。ねぇ何があったの。何があったの。何があったかなんて。大人たちの背中の隙間。黄色いテープの向こう。地上の地獄。見えない川。おばさんだけに教えてと耳を打つ。可哀想に。可哀想に。可哀想に。耳を滑る言葉は沢山だ。同情のふりをするなら。気持ちが判るというのなら。見せてみろ。もう沢山だ。

言葉はもう、沢山だ。

激しく流れる雲の向こうで、奇妙な赤い空が見え隠れしていた。
台風が過ぎ去ろうとしている夕暮れの頭上を見上げ、ツグミは僅かに眉をしかめる。空気は奇妙に生暖かく、どこかひんやりとした冷気も混ざりこみ、心を掻き乱す。そんな彼女の目に映ったのは、厚く重なった白と黒の雲の真ん中に、ぽっかりと口を開けた切れ目。
まるで台風の目にも見えなくはないその口から、空の光がうっすらと見え隠れしている。
その中心から。
「…先生?」
「…………あれは」
校舎と研究棟を繋ぐ渡り廊下の真ん中で、ツグミが突然空を見上げて気配を硬化させたのに気付いたヒバリが、彼女の視線を追うと。
空の真ん中に厚い雲の開けた口があった。
まるで神が降臨する図の様に、光が降り注ぐ中央から。
「…何だ?」
「!!」
一つの筋が、線を引いて垂直に落下した。
明らかな意思を持つ線として地上を目差すその筋に、2人は顔を見合わせ自分たちの持つ特殊感覚を一杯にした。精神感応者、思念同調能力者として優秀な力を持つ2人だからこそ、何かしらの思念の発散を感じての事だった。
だがそれは2人をあざ笑うかの様なあっという間の早さで風景の谷間に消え、そして次の一瞬には、地上全体を覆うような黄色い光が炸裂していた。
「…何だ、爆弾!?」
咄嗟に手で目を覆いながら、ヒバリが一瞬だけ黄色く埋まった視界に声をあげると、ツグミが首を振った。
「いや違う…ノイズが?」
光は一瞬で収まり、辺りの景色は何事もなかったかのような静けさに包まれる。
ただ、ツグミの耳には何かざわざわという気配の様なノイズが感じられた。傍らをすり抜けられた様な感覚に、ツグミは首筋で切りそろえた短髪を揺らしたが、もうその残り香も感じる事は出来なかった。
「ノイズ?俺には何も」
「そう…保安部で調べてもらいましょうか」
気象現象による気のせいかもしれないと思いながらも、ツグミは隣接する建物にいる筈の保安部員へ携帯端末から連絡を入れた。

夏が去り秋が訪れようとしている空が、季節の目まぐるしい変化に揺れている。
眩しい日差しに肌を撫でていく冷たい風、そんなちぐはぐに包まれた空気を抜けた先に政府の特殊機関に指定されている、特別監察局所属能状研究校があった。
いわゆる超能力及びそれを行使する者を管理統括、そして研究する機関であり、ツグミとヒバリの職場でもある。

中に入ってしまえば季節を失う感覚が、ツグミには体の内側にある自分のセンサーを刺激される様で、やや鋭角的な眉をしかめた。
確かに地上を覆った光だが、ツグミとヒバリ以外、建物内にいた者は誰一人として気付いていなかった。
連絡を受けた保安部のカケスとクロウタも同じくである。
クロウタがその巨体を揺らしながら、一応気象衛星のデータ等を洗ってみたとは言うが、何も異常気象も特別な熱量も見つけられなかったという。扱う内容の特殊さから、特別の権限を多く与えられたこの機関の調査能力をもってしても、だ。
「…そう…でも…」
ツグミが視線を自分の助手でもあるヒバリに向けると、彼もツグミの顔を見ながらこくりと頷く。
確かに、あの光は地上を覆ったはずなのだ。
「気になるわね」
ちっと白い人さし指を唇で嬲るツグミに、上司であるオジロ教授から呼び出しがかかる。
超能力研究の第一人者であり、教授であり、この施設の局長を務めるオジロは、もうじき70に手が届こうかと言う高齢者であったが、その声の張りはどこの誰よりも力強い。
内線から響いた彼の声に何事かと眉をしかめた彼女に、保安部員のカケスが肩をすくめた。
「超常現象より、目の前の人間様が問題みたいだな」と。
その言葉の意味は、すぐに判った。

目の前のモニターに表示された近隣の都市部の地図に、蕁麻疹の様な赤い点滅が光っていた。
「何これ?」
「夕方頃から急速に通報が増えておる。どれもが傷害やら痴話喧嘩の類いなんだが…」
局長室の革張り椅子にかけていたオジロがちらりと地図を振り返る間にも、点滅の数が倍には増えた気がする。オジロの禿頭にも点滅が見えた気がして、ツグミは長い睫毛を数回瞬かせた。
モニターに光るのは110番センターへの通報の情報だ。中でも事件性有りと判断されたものだけを拾いだしている。リアルタイムに更新されるその光が、見る見る間に増えていくのはどこか滑稽だった。
とにかく、異常な件数。
「この2.3日の大雨で家に閉じこめられてた人々が、解放感からつい…っていうのは?」
「この件数をそう説明するかね?」
オジロが肩眉を上げた。
解放感に満たされたとしても、皆が皆通り魔にでもなったというのか。
「…悪戯という可能性は?」
「ほぼ全ての件数に被害者が出ておる。現在判る限りの加害者間に関係性は見いだせない」
「コンピューターウィルスによる誤伝」
粘るツグミの声に、オジロが残念そうに首を横に振った。
一見するとつるりとした頭の好々爺だが、顔の真ん中に居座る眼差しが力強い。
「…特定能力保持者による陰謀」
「だとすれば、我々の管轄だ」
諦めたようなツグミに、オジロが以上と言いたげに背中を向けた。
後は自分たちで考えて行動しろという事らしい。
「了解」と呟いて立ち去るツグミの足音を聞きながら、正面にモニターを見据えたオジロの顔に、赤い星々が反射した。

ツグミの仕事は、超能力に関する研究である。
…が、それは建前で、実際は超能力に関する犯罪を調査・解決する組織の部隊長を務めていた。フィールドワークであり、警察業務である。
彼女自身の能力も優秀なもので、その活用方法そのものが研究対象でもあった。
彼女たちの能力と活躍を重視した政府の援助で、オジロの元には大きな権力が預けられていた。

「とにかく件数が多いから、加害者が多く放り込まれている署へ出向いて接触を試みて」
車に乗り込んだツグミの隣でハンドルを握るのは、非番を呼びだされた哀れな小羊ーカグーだ。
保安部員でカケスの部下である彼が、能力者であり研究者であり管理者であるツグミのボディガードを勤める。カケスは、ツグミの部下であり同じ役目を持つヒバリと共に出発していた。
「クロウタは引き続きネットを監視して、管理番号を持つ能力者の動向をチェックして」
「了解」
そんなやり取りを思い出しながら、カグーがアクセルを踏んだ。
「あれ、今日はヒタキは?」
「たまたま別件でクコと出ていたから、そのまま最寄り署へ直行して貰ったわ」
車を包む外気は既に闇に包まれている。これから世間は夜の和みに入るというのに、自分たちは何とも穏やかじゃない空気だ。
本当なら今夜はヒタキとディナーを楽しむ予定だったのに…と、ツグミはヒタキの大柄な姿を思う。
まぁ、家族との団欒を中断させられたカグーよりはましか。
「何ですか?」
ふっと笑ったツグミに、カグーが眉を寄せる。
そこでツグミは思い出したように尋ねてみた。
「あなた、今日の夕方に光を見た?」
「光? いえ、俺は娘と図書館にいたから…」
まだ幼い娘との細やかな団欒を楽しんでいたというカグーに、ツグミはつまらなそうに頷くだけだった。

「…か〜まだ目がちかちかするぜ」
「大丈夫? 何なら運転代わるけど」
呆れたように笑うクコに首を横に振って、ヒタキはしっかりとハンドルを握った。
精神感応能力を悪用していた麻薬の売人を追跡した帰り道に、またもや新たな指令を頂いての移動中である。
「お前に運転させたなんてヒバリにばれたら、俺が殺されるからな」
「何、それ」
はい?と黒髪を揺らして笑うクコに、ヒタキは口を真一文字に結んで呟いた。
「俺の女に何かあったらどう責任取る?あぁ?」
「…それ、ヒバリの真似?」
「似てるだろ?」
「全然!」
渋い顔で低音を出したかと思ったら、ぱっとにやけた顔を向けてくる。
前を見てとその顔を手で押しのけながら、クコは細い肩を震わせて笑った。まったく、この大男はいかつい外見に似合わず、案外茶目っ気に溢れているから困る。そう苦笑を隠さずにいると、ヒタキがポンポンと瞼を指で叩いているのに気付いた。
「まだダメ?」
夕方、奇妙な光の落下と、その直後に広がった光を見てからというもの、彼の目がおかしいらしい。
直後に何かあったのかと車に積んだネット端末で検索を掛けてみたが、光に関する情報はまるで無かった。一緒に光に包まれたクコはと言えば、彼とは違い何とも無い。
「一体何だったんだろうね?」
首を傾げるクコに、ヒタキはさぁと肩をすくめながら。
「そいつはここをクリアしてからツグミにでも聞いてみようぜ」
そう言ったヒタキが車を滑り込ませたのは、所轄の警察署だった。

足を踏み入れてみて、唖然とした。
夜の時間帯に入っているというのに、満員御礼状態のロビーである。
サイレンを鳴らすパトカーはひっきりなしに出たり入ったリを繰り返し、ロビーでは制服警官を遥かに越える人数の市民が溢れ返っていた。半数は誰かの付き人らしく、半数は身体のどこかに傷を負っている風である。という事は、彼らに危害を加えた人間がこの人数につり合う位はいるという事か。
見た感じはどれも軽傷ー本当に些細な傷ばかりなのだが。だからこそ病院ではなく警察にいるのだろう。本格的な手当ての必要な者のみが白い車に乗ったのだ。それにしても。
問題は、そんな些細な事件がこれだけ一斉に起きているという事実だ。
「…先生、これは…」
「行きましょう」
何か不穏な気配を感じる。
ツグミはその気配を肌で感じ取っているのか、気味悪そうな顔をしているカグーを伴って奥へと進んだ。この事件を巻き起こした、数多くの容疑者達に会いに。
その途中で、ざわざわとノイズにも似た人々の声が2人を包む。
「…痛い…」「驚いたわぁ」「どうしてこんなに人がいるの」「だからさ、夕方に光が」「変な事言わないで」「じゃあ私のせいだっていうの?」「彼が突然…」「お昼に会った時は普通だったのに」「呟いてた」
ざわざわざわと、全てが同じ線上に乗って不気味な音を奏でているかのようだった。
ツグミは一度だけ、人込みを振り返ってから、奥へと続く扉を開けた。

男は震えていた。
ぶるぶると無様に震える様は、薬物中毒でも高揚状態でも何でもなく、ただひたすら恐怖に脅える姿。
自らの意思で友人の恋人に刃物を突き立てたというわりには、その凶暴さも凶悪さもなりを潜めている。「俺は…俺は…何て事…俺は…守りたかっただけなんだ…」
女は呆然としていた。
どうしてここに自分がいるのかと、不思議そうな顔で取調室を観察している様でもあるが、目の焦点はどこかぼんやりしていて定まっていない。その手は、自らの姪の首を絞めた名残で丸く指が曲がったままだ。「だって私は彼の事が大事だから。仕方ないじゃない。だって…彼を失うなんて考えられないんですもの」警官は呆れ返っていた。
次から次と運び込まれてくるのは容疑者ばかり。
「どいつもこいつも殺意を否認してるんだか、今いち判らないんですよねぇ。どいつもこいつも自分の彼氏だか彼女だかを守りたかったとか何とか。彼女を守りたかったから、友達の彼女を斬り付けましたって…意味判ります?」
制服の襟がくたびれている若い警官に見上げられ、ヒバリは肩をすくめた。
一緒に取り調べを担当している警官から話を聞いていたカケスも、言葉もなく眉を上下させるだけだ。「…全部が全部、大した意味もない傷害事件なんだなぁ」
「しかし数が尋常じゃねぇ」
「ああ。やっぱり能力者が疑わしいかねぇ」
ぼりぼりと頭を掻きながら、カケスは警官から手渡された調書のコピーをぺらぺらとめくった。
傍らではつまらなそうに煙草をふかしているヒバリに、警官が「あんたも警官?」と首を傾げている。
そんな質問を無視したヒバリは、ぼんやりと。
夕方の光を思いだしていた。

「…そうね。何か衝動的な行為を起こさせる暗示でもかけられたのかも」
カケスやヒバリと同様に近いものを見聞きしていたツグミは、彼らからの報告を受けて、監察局に残っているクロウタに連絡した。
『はいよ』
「容疑者達の情報を送るから、一通り調べてみて。誰か特定能力者と接触してないかもね」
『へーい』
クロウタの返答を聞きながら、ツグミが早速その指示を所轄警察へ要請していると。
調書の写しを眺めていたカグーが、「…ん?」と首を傾げた。
「どうかした?」
「いやぁ、この加害者と被害者の関係性が面白いなぁって」
「身近な人物が多かった気がしたけど」
カグーの手元の資料をツグミも覗き込むと、彼女の服装から白く豊かな胸元が僅かに覗いた。
所轄の警官などはチラチラと興味深げな視線を送ったが、カグーは一向に気にする風もない。
彼は顔間近にある胸を飛び越えて、ツグミの深い瞳の色を見つめた。
「そう。被害者は全員、加害者の身近な人物の…大切な人、なんですよね」
友人の恋人。姉の娘。上司の妻。姉の恋人。母の再婚相手。知人の自慢の息子。
衝動的な行動にしては、奇妙に選ばれた被害者達。
「条件付けがあるのかもしれないな」
何か検索条件に引っ掛かるかも知れない。
ツグミも確かに気付いて頷いた。
その時。

「…ヒタキ?」
容疑者達の情報提示を警察に依頼していたクコは、一緒に行動しているヒタキの変化に気付いた。
何だろう、まだ眼の状態がおかしいのだろうか。
頭を抱え込むようにしているヒタキを人気の少ない通路へ引っ張って、クコはその顔を覗き込もうとした。依頼をするだけしたら、後は監察局に戻ってしまえば良い。
「早く戻って、医務局で診て…」
貰った方が良いね。と続けようとしたクコの声は、しかし、途中で途切れる事となった。
目の前で、頭を抱えていたヒタキが顔を上げたからだ。
それも。
「すまない、クコ」
無表情に近い口元を、そんな風に動かして。

『ツグミさん!ひ、ヒタキが…っ!!!』
「クコ!?」
突然ツグミの、そして彼女以外のメンバー全員の携帯端末に響いたクコの声。
尋常ではない彼女の声の響きに、その声を聞いた全員が目を見張る。
『何だ、どうしたクコ!ヒタキが何だ!?』
『クコ!!!』
ツグミの問い掛けの後にヒバリの声も続いた。
しかし、それに対する返答は無く、ただ沈黙が電波を支配する。
思わずツグミがカグーと、ヒバリがカケスと視線を向けあう中。
クコの携帯もヒタキの端末も、まったく何の反応も失ったのを知ってか知らずか。
『先生』
クロウタのやや緊張した声がキャッチで飛び込んできた。

『先生、能力者の活動は一切確認できない』
はっきりと告げられたクロウタの声。
それは、監察局の強大なネットワークをもってしても、怪しげな熱量も何も発見できなかったという事。
則ち、今、悪事を積極的に働いている能力者が存在しないという事だ。
彼女たち監察局の目を欺く事は、現在の情勢下ではほぼ不可能なのである。
それが彼女たちの功績であり、これからも続く実績である。
「……能力者じゃ、ない?」
この、異常事態なのに。

そして。
『クコ!?』
愛しい女を呼ぶヒバリの声だけが、虚しく共有の電波を流れるのだった。










初出…-☆来夢

□ブラウザバックプリーズ□

実在の人物・団体・地域などに一切関係ありません。フィクションの塊です。著作者は来夢です。無断転載禁止です。